本好きの私が本を最後まで読まない理由

本好きの私が本を最後まで読まない理由

私は本を最後まで読まない。
もちろん、最後まで読み切る本はある。
いや、最後まで読み切れる本があるというよりむしろ、最後を読みたくて買う本があるに過ぎない。
読み切ろうがそうでなかろうが、誰の不都合にもならない本の楽しみ方が私にはある。
この記事を読んでいるあなたにも、「読み切る」こと以外に、目的や楽しみがあるのではないだろうか?

私と本の出会いは中学校時代に遡る
当時は、本より漫画の方が好きで、漫画をずっと読んでは怒られるような日々を送っていた。
そんな中、同級生のM君が声をかけてきたのだ。
「木村君これ読んだ?」
彼が手に持っていたのは、スレイヤーズというタイトルのライトノベルだった。
「ん、読んでないよ」
「今やってるアニメあるじゃろ。あれ」
「ん、アニメの?」
「うん」
「あれって、それなの?」
「そうだよ」
今思えば、本当に代名詞ばかりで会話していた。
「あり!読んでみらー」
これが本との出会いだった。

当時、私たちの図書室には、島崎藤村全集の隣になぜかライトノベルのコーナーがあった。
片方はハードカバーの分厚い本で、日焼け跡ができ、ほこりをかぶり、開かれた様子のないページが張り付いてしまい、大きな一つのブロックになっているかのような厳めしい雰囲気を醸し出している。
もう片方は明るさと艶やかさ、表紙にはアニメで見た事のある顔が描かれていて私に取ってくださいと言わんばかりだった。
その中のたった一冊を、M君は私に紹介してくれたのだ。

本を開くと、最初に挿絵が目に飛び込んできた。
漫画に比べて圧倒的に少ない挿絵だが、場面が良く分かる一枚絵だ。
緻密な魔方陣の中で、強い意志を感じる視線を向け、今まさに何かが起きる直前を思わせるのは、魔法を唱えているシーンの一場面だろう。
何ページかおきにこのようなイラストが描かれていて、読み疲れたころにちょうど一息入れてくれるのが心地よかった。
文章ももちろん平易で読みやすい。
剣士の男性、魔法使いの女性、僧侶の女性、魔法使いの男性。
アニメで見た事のあるキャラクターが本の中で生きていた。
私の心の中で、魅力的なキャラクターたちが楽しみ、怒り、悲しみ、冗談を言いあいながら冒険していく場面が想像されては消え、想像されては消えていく。
まるで台本を読んでいるように、すーっと心に入ってきた。
私は、登場人物とは全く関係が無いのに、まるでそこにいるかのように感じながら読んでいた。
それからの私は、授業中にもライトノベルを読んでしまうほどになっていた。
M君に紹介されたスレイヤーズに始まり、図書室にあった文庫はほとんど手を付けたように思う。
読みかけの作品をいくつか持っておいて、今日の気分で読む作品を決めるほどだった。

しかし、ライトノベルが最後まで読めなくなる日は突然やってきた。
読み進めていた作品の一つで、お気に入りのキャラクターが死んでしまった。
冒険をしていくのだから当たり前ではあるのだが、読み進める元気がなくなってしまった。
作品の中ではあれだけモンスターと戦い、人を殺し、仲間の離脱や別れを経験しながら物語が進んでいっていたのに。
なぜか、そのキャラクターがもう出てこないと分かるとそのライトノベルを読む気がしなくなった。
それまでは、次はどんな風に戦い、どんな風に勝利し、どんな風に次の冒険に出かけるんだろう……なんてことを友達と話しながら次を楽しみにしていたのに。
続きに興味が持てなくなった。
以降、ライトノベルはほとんど読んでいない。

それからの私は、ミステリーをよく読むようになった。
人を殺したという結果があり、犯人という原因があり、それを解き明かす探偵がいる。
結論ありきの単純な構造の中で、どのようなトリックが描かれるのか。
1つの事件が1つのお話で完結する。
最後まで読むことが前提となったミステリーという作品を読み漁るのが私は大好きになった。

しかし、ある時私はハッと気づいた。
ミステリーを読む時に私は誰の視点でストーリーを追っているのかを考えた時、私の中で一本に繋がったのだ。
私は、本を読んでいたのではない。
キャラクターの人生を追っていたのだ。
そのキャラクターになりきるのではない。
お気に入りのキャラクターの傍で、世界に関わることが好きだったのだ。
そして、私は自分のお気に入りのキャラクターを、主人公と呼んでいた。
主人公の傍で、私ならこう考える。
こう動く。
こういう手段があるんじゃないの?
なんて、自分なりに最適な行動を模索しながら読んでいた。
例えば、ホームズを読む時は、自分が第二のワトソンとして世界と接していた。
お気に入りのキャラクターの死は、私にとって主人公の死と同じ。
だから、読めなくなった。

それに気づいた私は、一冊の本から今の仕事にまで思考を飛ばしてしまった。
私の仕事はカウンセラー。
「一人ひとりの人生という物語に寄り添う」
これが仕事。
一緒に共感しながら。
寄り添いながら。
その人なりの人生を一緒に伴走する。

物語の本は最後まで読まないことは増えたが、結末まで読まなくても良くなったのかもしれない。
私の目の前の主人公が、私の心の中でストーリーを描いてくれればそれが一番満足できると感じる自分がそこにいた。
平穏無事に暮らして欲しい。
報われて欲しい。
そんな主人公たちへの祈りは、今のカウンセラーという仕事の上でも大いに生かされている気がする。