みんな違ってみんないいのは大人になってからかもしれない。

みんな違ってみんないいのは大人になってからかもしれない。

みんな違ってみんないい。
本当に小さいころから言葉だけは聞いてきたけど、心から言えるようになったのは30超えてからかもしれない。

私にはできないことが多い。
だから、周りに10人いたら全員がすごいって思える。
すごいって思うけど、尊敬するかっていうとそれはまた違うような気はするけど…。
自分に出来ないことができるっていうだけで、自分もできるようになりたいなって思う。
子どもの頃よりはできることは増えたと思うけど、今もまだ色々知りたいし、できるようになりたいと思っている。
みんな違ってみんないいのに、できるようになりたいと思ってしまう。
実は過去の私にとって、「みんな違ってみんないい」というのは絵空事でしかなかった。
できない奴をいじめるなとかそれくらいの意味しか持っていないと思ってた。
結局いじめられたというオチもついた。

できること・できないことを考えるようになったのっていつからなんだろう?
元々はみんな何も知らないはずなんだよね。

私がふと思い当たるのは、学生になったタイミング。
テストっていう評価基準があって、できることやできないことというのが重くのしかかるようになったのではないかと思った。
同じものを勉強する中で、比較が発生する。
その中では「高い評価=できる」という方程式の中で生活することを半ば強制されてしまう。
人と比べて「できる・できない」を、意識せざるを得なくなる。
だから、「正解にのみ価値がある」ような考え方になってしまうこともあるのだろう。

ではここでいう正解とはなんだろうか?
私は、この正誤思考の中では「多数派」こそが正解となりうるものではないかと思う。
学校という小さい世界の中で、正解である多数派に価値が置かれる。

でも、社会に出ると全く違う考え方を要求される。
大学を卒業するまで、正誤思考に支配されるのに、社会に出たら正解がない。
数々の意見や考え方の中から、今一番適切なMuchBetterを探すことが求められる。
少数派も全然OK
みんな違ってみんないい。
多様性を認めていかないといけない。
言ってることが真逆なんだよね。
だから、新入社員は大混乱するんじゃないかな。
正解を探し、覚え、繰り返しアウトプットすることしかしていなかったのに。
正解が存在せず、知識も役に立たず、何を出していいかもわからず、結果を出すことを求められる。
あなただけの正解を探し続ける力。
これが社会人を楽しむために必要な力なのかもしれないな。

だから、ほんとにすごい周りの人を見て「俺もできるようになりたい!」って思って手を出しちゃうのは、私にとっての正解なんだと思う。
やっている時は充実している。
何もやらずに後悔はしたくない。

今の私のチャレンジは、「カウンセリングの良さを世の中に訴えていくこと」
私がカウンセリングを拡げたいというのには大きな理由があります。
そして、良さに気づいてもらうためには、体験してもらうことが一番!!
何でそう思うのかは、めっちゃ簡単で…
自分がカウンセリングで救われた経験があるから。



7年。
これが、私が引きこもっていたと感じていた期間。
大学に進学して、講義で知り合った人に自分の話をして、はじめて人に話すことの大切さを知った。
そして、カウンセラーという専門家を知り、実際に話を聴いてもらうという体験をした。
最初は不思議な感覚。
話せている自分に不思議な感じがして、問われるままに話をしてしまう。
ある時、ふと気づくと、話している自分じゃなくて、聴いてくれている相手のことが気になり始める。
殻を破り、変わり始めている自分と、隣にいるカウンセラーのことを考える時間が増えていき、ある時私は、ハッと気づいた。
私の世界は「聴いてくれる人がいることの大切さ」というものが大きな力を持っているんだ。
話せる自分は、聴いてくれる誰かがいて初めて成り立っている。
私自身も、人の話を聴ける人になりたい。
どんな小さなことでも、一緒に考えていける人になりたい。
そんな感じで強く思ったことを覚えています。
一度話をしてみて、良かったなって思えるから、自信を持ってオススメできます。

これからも自分はカウンセリングを拡げるためにチャレンジし続けるのだろう。
今もココロからそう思う。

投稿者プロフィール

木村 俊夫
木村 俊夫
自信が無くて引きこもっていた自分が前に進めたきっかけは「聴いてくれる人」でした。大学卒業後から起業し「聴く」ことをベースに活動をしています。教育、面接、マネジメント、カウンセリング、講師と様々な複業の実践家でもある。
現在は「カウンセリング」の良さを広げる伝道師として活動を続けている。