ビジョンアーティクル

ビジョンアーティクル

2019/7/9
株式会社リソラ
代表取締役:石川 靖

私が出来ることは人の話を聴き、ひとの気持ちに寄り添うこと。それによってそのひと自身が持つ答えに近づくこと、そして最後は自分が持つ答えをそのひとが導き出すことが出来るように支援することにやり甲斐を感じています。

なぜその考えに至ったか。少し自分の事を整理してみます。

小中学校は、成績が全校生徒でトップテンに常に入っており、学級委員長や生徒会も積極的に立候補、参加してました。

しかし、高校に入ると勉強しなくなり、成績も後から数えた方が早く、惰性で通っていました。部活も入らず、何にも力を注げていなかったように思い出せます。ただし、進学校だったため友人の誘いで高校3年生から予備校に入り、これまた惰性でした。

そんな状況でも、滑り止めの大学に引っ掛かり無事4年生大学に滑り込みました。

大学では心を入れ替えて、「頑張るぞ」と息巻いておりました。入学当初はサークル活動に燃え、お小遣いが欲しくなりアルバイトを始めました。

そのアルバイトが良くなかったのかもしれませんが、自分でお金を稼ぐ楽しみを知って、学校よりもバイト先に入り浸ることが多くなってきました。バイト先の仲間と麻雀したり、朝まで遊んだりしていたら、当たり前ですが大学の友達も居なくなり、いつしか成績もガタ落ち、完全にレールから外れてしまいました。

私が通っていた大学では、2年から3年になるときに八王子から新宿に本拠地を移すのですが、私は単位が足りず八王子と新宿を行ったり来たりすることになりました。最初は頑張って両方通っていたのですが、続きませんでした。

さらに学校に行くことが憂鬱になっていましたが、2年生の最後くらいでしょうか。嫌な中でも楽しくて通っていた実験演習のコマに参加したときですが、自分の財布が盗まれて次週にその教室でお金やカード類だけ無くなった状態の財布だけ見つかる、と言う事件が起き、近くに居た仲間達を信頼できなくなり、とうとう大学には通わなくなりました。

親からは幾度となく怒られておりましたが、さらにアルバイトして遊ぶ日々に拍車がかかりました。最終的には、そんな状況を5年間続け、大学は中退してしまいました。

こんな学生時代を過ごしていたこともあり、何かコンプレックスを抱え今まで生きているのかもしれません。

大学を5年で中退し、半年間はフリーターをしていましたが、就職は運良く家の近く車で30分の印刷会社に就職することが出来ました。その印刷会社は、ちょうど紙媒体をシステム化するプロジェクトを推進していく部隊にアサインしてもらえたため、今の私のキャリアのスタートとなる、システムエンジニアを勉強させて貰えました。

最初の会社は5年通いましたが、その後は1年から3年程度で約10回の転職を経験し、2015年に初めて自分の会社を作りました。その時はサラリーマンをやりながら、副業でスタートしました。2016年に正式に社長に就任し、その後はなんとか順調に生活を出来ているところまでは来られました。

ただし、順風満帆ではなくいくつかの大きな挫折を、いくつかの成功体験を経ております。そのあたりにも私のルーツがあるのではないか、と思い回想してみます。

32歳くらいの時です、外資系企業のモバイルバンキングサイト構築プロジェクトのPMとして、アサインされておりましたが、主要言語が英語であったため、メンバーとコミュニケーションが図れず上手くドライブ出来ない状況が続いていました。そんななか、途中からクライアント側のメンバー変更があり、若い女性の方がカウンターパートに就くことになりました。その方もプロジェクトで上手く立ち回る事が出来ない様子だったのですが、そのストレスや苛立ちをいつしかベンダーのPMである私に向けてくるようになりました。

最初はなんとか対峙していたのですが、あるとき心が折れてしまい、出社するのが怖くなりました。2日か3日位休んだときでしょうか、上司のすすめもあり休職することになりました。心療内科での診断は「バーンアウト症候群」と言うことで、結局最終的には6ヶ月間休みました。休んでいる間に心療内科に通っておりましたが、その時に助けてもらったのが「カウンセリング」でした。

私が受けていたカウンセリングは認知行動療法をバックグラウンドに据えたものであり、自分の中での受け取り方やものの見方をバランスの良い考え方に変えてストレスを軽減していく内容でした。3ヶ月間のプログラムで、徐々に元気を取り戻していくことを身をもって体験できる、良いキッカケでした。この経験があり、リソラを立ち上げるときに併せて産業カウンセラーの資格を取るために1年間スクールに通いました。

答えはその人のなかに。

他人がどうこう言ったり、どんなに良いとレコメンドしても、当の本人が納得しないとダメで、それは人生の中でどんな場面でも言える事だと考えています。私はその答えを見つけられていないんですが(もしかしたら見つけたけどカタチが変わっていっていて認知できていないのかもしれません。)、それを見つけ納得することでその人本来のパフォーマンスを充分に上げることが出来ると。それを手助けすることにどれだけやり甲斐があるか。私はその部分に価値を感じております。

従来カウンセリングというと、マイナスをいかにゼロに近づけていくかと言うネガティブなイメージがあるのですが、本来は日本語で言うところの「コンサルティング」に近く、プラスから更にプラスへ導くことも出来るものだと信じています。

ただし、現状だとカウンセリングの資格を持っていても、充分な稼ぎを得られる仕事が日本国内には少ない状況です。産業カウンセラー仲間に聞いても同じ印象で、副業としてカウンセラーで生きている人が大半なのかもしれません。

私はできればそのカウンセラー達に新しい雇用や色々なチャンスを提供していきたいと考えています。そして自分もいつしかその世界でも仕事をしてみたい、と。

システム開発と言う領域のなかで、プロジェクトマネージャーは一番コミュニケーションが必要な役割であり、自分が得意なところを活かす仕事に就けているとは思っているが、社会的意義などを考えると、そろそろ「カウンセリング」を生きる仕事にしていきたいです。