キャリア理論の変遷 キャリアの考え方は時代によって変わるのです

キャリア理論の変遷 キャリアの考え方は時代によって変わるのです

キャリアの理論は1900年代から始まった
 昭和から平成初期

人のキャリアについて学術的に議論されるようになったのは1900年以降のことでまだそんなに時間が経っているわけではないのです。1900年代、特性・因子理論、マッチング理論と言われるものがまず出てきました。

この理論は
①一人ひとりは他の人と異なる能力または特性を持っていて、それは測定可能。
②人は自分の能力特性と、仕事に求められるスキルが一致すればするほど、仕事における満足度は高くなる。
③人は自分の能力特性に最も合う職業を選択する。という考え方です。
この理論においては、仕事と個人のベストマッチングが重要であり、そのために職業適性試験を使ったりしながら、自己理解と仕事理解を深めることが重要で、その上で合理的推論によって人と仕事のベストマッチを行うというのです。

1990年代までの日本はこのような考え方が主流でした。そしてその時代、ほとんどの人は一度入った企業は勤め上げるものであり、自分のキャリアは初めに入った会社が前提であり、最後まで勤め上げるのが当たり前というのが普通の考え方だったのです。

成長に従ってあがり、老齢期に向けて下がっていくキャリア発達理論(富士山型)
 ~平成

空にきれいにかかった虹のように、誕生から上がっていき、40代を頂点に下っていくトランジッションアプローチ理論を多くの学者を唱え受け入れられたのが次の時代です。多様な理論がありますが、多くは年齢と関係付けてそれぞれの年齢での役割を定義したり、年齢ごとに乗り越えなければならない課題を提示したりしました。ちょっと前に流行った言葉ですが「モラトリアム」とか「アイデンティティ」などのワードが使われるようになったもの、これらの理論のおかげです。

この時期、キャリアは丸い虹のように、駆け上がりそして50代から緩やかに下降する、富士山のような独立した大きな山型のキャリアのカーブを描くようなものとして定義されたのです。ただ、それまでと大きく違うのは、新卒で入社した会社で一生勤め上げるという考え方を持つ人がずいぶんと減って来たことです。だた、自分のスキル・特性は大きく変化させずにキャリアを終えるという考え方はそれまでの理論と変わらない点でした。
しかし最近、寿命が延び人生100年時代といわれるようになり、一つの大きな山を越えた後の人生が長すぎるようになってきました。新しい考え方が必要とされるようになってきたのです。

一つの山ではなく、いくつもの山を作り登るキャリア(八ヶ岳型)
 令和~

元リクルートフェローで民間出身の初めての義務教育(和田中)校長となった藤原和博氏は、人生100年時代を前提にピークを何度も作る「八ヶ岳」型のキャリアを作り出すことが必要だと語っています。一つの会社ではなく複数の会社を経験するだけではなく、常に新しいキャリアを考え次のピークを作っていくような行動が必要だと説いています。そしてそのようなキャリアはこれまでは定年で隠居していた60歳以降も続くのです。

キャリアアダプタビリティとか計画された偶発性というワードに代表される理論がこのような考え方の基本になっているように思います。例えば計画された偶発性理論では「個人のキャリアの8割は予測できない偶発的なことによって決定され」「その偶発的なことを計画的に導くことでキャリアアップしていく」と説いています。そのためには絶えず学習を続け、楽観的に考え、失敗に屈せず努力する、行動を変え、リスクを取って行動することが必要だと訴えます。自ら機会を作り出して、その変化によってキャリアをチェンジしていこうというわけです。 

いかがでしょうか?
コロナによって会社に対しての向き合い方についていろいろ変化が出てきそうです。併せて自分のキャリアにをどうして行きたいかに向き合ういい機会だと思います。ぜひ自分の八ヶ岳はどのようなキャリアなのか、一度じっくり考えてみませんか? (TA)